踊るさんま御殿!!男と女のお笑いネタ

2018年5月8日の踊るさんま御殿!!結婚は本当幸せSPに出演した

未婚・既婚・離婚女性芸能人たちが「男と女のお笑いネタ」

を反省を込めてトーク。

横澤夏子の結婚生活・桃丸かじり


独身の時に桃を流しで丸かじりするのが好きでした。

桃のおいしさがわかるから。

結婚したらさすがにそれはできないだろうなっと思っていたのですが、

ある日彼が出かけてのでついに桃を丸かじりしました。

そこへ彼が帰ってきて

「人をかじっているのかと思った」と言われました。

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今度からは旦那の前で桃丸かじりして見せて旦那の反応を報告してね。


さんまの離婚が遅れたわけは


俺が2年間離婚できなかったのは姪っ子のせいだ。

もし別れたら、今年からの忘年会の司会を誰がするんだ?

と言われた続けられたから。

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ふたりの離婚の理由は主婦業を優先してほしいさんまと女優業を続けたい大竹しのぶとのすれ違いと言われています。

男と女によくあるすれ違い?



小倉優子の旦那がつらかった訳は


「私は1回目の結婚で、離婚したからたくさん反省できたけど、でも結婚生活中は、私も私で向こうが嫌な気持ちにさせることたくさんしてたなって。離婚したから分かりましたね」と振り返りました。

その一つは

小倉優子は離婚する前は旦那に言っていた「私のすきなとこ10個行ってから寝て」というもの。

旦那はホント辛かったね。

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女は常にどれだけ愛されているかを知りたい。

なら愛されるようにして10個以上してほしいんだけど。

h2>丸山桂里奈は直球が好き
褒められるのはうれしいんですけど

あまりにも褒められると

もしかしてこの人詐欺師とおもっちゃう

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丸山桂里奈におだては無用!!

直球あるのみ。

明石家さんまが熱愛彼女とのスクープを交わす方法とは


2018年4月29日のテレビバラエティ番組「明石家さんまの転職DE天職」では熱愛彼女とのスクープを交わす方法を暴露しました。

1984年に創刊された写真週刊誌フライデ―は当時売り上げを上げるために「明石家さんまの特殊部隊」を作って

さんまを追いかけていました。


創刊したばかりのフライデーとしては

当時大人気だった明石家さんまは何でもネタになるお宝芸能人でした。

社員には金に糸目はつけないといってハッパを掛けていました。



当時25才だったのカメラマン小原玲はさんまのマンションを突き止め日や張り込みました。

さんまのデートシーンを撮影するためです。

しかしさんまはいつも一人なのです。



当時のさんまはいつもデートの時は「一番大きいスキーバック」に彼女を詰めて運んでいたのです。

さんまは「明石家さんまの転職DE天職」の中でも未だかって2ショットは一枚も取られていないと自慢しています。

運搬はタクシーを利用しました。

運転手に運ばせずに自分で持ち上げて後部座席に運びました。

時々中からバックから「苦しい~」という声がもれて運転手が不審な顔をすることもあったとか。

1988年に結婚した大竹しのぶとの熱愛もこのスキーバックが使われたのです。

大竹しのぶと結婚すると騒がれていたので、事務所で待ち合わせをしてバックに入ってもらったそうです。

「やだあ」「苦しい」「苦しい」「そっとして」と大竹しのぶはつぶやいたとか。

そこまで苦労して熱愛した二人ですが、1992年には離婚してしまいました。


剛力彩芽も加藤綾子もバックで運んだのか


なぜ明石家さんまがいまだかって一枚も2ショット写真を撮られていないと自慢した秘伝を暴露したのでしょうか。

もう秘伝は使われることはないからでしょう。

最近噂になったカトパンコト加藤綾子や、剛力彩芽は

スキーバックで運ばれるのを断固拒否したので熱愛が成就しなかったのかもしれませんね。

彼女たちはそんなことまでして愛をはぐくもうとは思わないでしょう。

当時の明石家さんまの若い情熱がなせた業です。

さんまはもう62才です。

一人で50kg近い荷物を運ぶのは体力的限界であることをさとっているのでしょう。

フライデーが生き残っているのはさんまの熱愛のおかげ


さんまが雑誌にスクープされるとさんまがテレビでしゃべってくれるので本が売れたそうです。

フライデーはさんまなら何でもいいから撮って来いといって写真に号令を掛けていました。

その結果今ではフライデーへの登場回数は断トツ1位とか。

志らくはフライデーの編集長と知り合いだそうですが、

編集長は「今あるのはさんまのおかげだ」と言っていたそうです。


明石家さんまが熱愛彼女とのスクープを交わす方法とは・まとめ

フライデーが創刊されてから今年で34年になります。

フライデーの長い歴史を振り返っても明石家さんまと彼女の2ショット写真がスクープされていない一つの秘伝が暴露されました。

追いかけられる経験が最もある明石家さんまの熱愛スクープ対策は格段に進化していることでしょう。

それが加藤綾子や剛力彩芽との2ショットが出てこない原因かもしれませんね。

去っていった恋人茜が明石家さんまを芸人に!!誰も知らない明石家さんま第一弾

「去っていった恋人茜が明石家さんまを芸人にした」というストーリーの短編映画が11月26日に再放送されました。
「誰も知らない明石家さんま第一弾」での一コマです。
明石家さんまが芸人になるように彼の背中を押した恋人茜役には新川優愛、さんま役には菅田将暉、脚本はピースの又吉直樹が手がけました。
明石家さんまが「よくぞあんなにきれいに仕上げてくれた」というほどの純愛ドラマを見た、あばれる君と藤田ニコルは号泣また号泣でした。
その純愛ドラマのストーリーは関係者の取材に基づいてピース又吉が脚本化したものですから実話と言って良いでしょう。
この時明石家さんまは恋人茜のために芸人をやめてアルバイまでしていたのです。

高校卒業後、笑福亭松之助に弟子入りしたさんま
昭和49年大阪高校卒業し、杉本高文(本名)すぐに笑福亭松之助に弟子入りしました。
入門の動機は、花月劇場で見た松之助の新作落語が面白かったからだといいます。
芸名は笑福亭さんまとして落語の修行に励んでいました。
そんなある日街で小学生の同級生だった茜と偶然に出会います。
恋人茜のため芸人をやめた明石家さんま。
それから毎日のように遊ぶ二人。
いつしか笑福亭さんまは結婚を真剣に考えるようになりました。
ところが茜の両親が芸人と交際することを良く思っていませんでした。
茜を幸せにすることが自分の幸せと思っていた笑福亭さんまです。
お笑いのためなら死ねると思っていたさんまですが、愛する茜のために大阪を捨てて東京へ向かいました。
当時の東京では師匠につけないと舞台に立てないのがルールでした。
そのため東京にはお笑いの仕事にはまったくつくことができませんでした。
そんな時に励みになったのは度々大阪から茜が来てくれたことです。
さんまは芸人をあきらめ近所のパン屋でフルバイトをすることにしました。
そんなさんまがいつのまにかパン屋の名物店員となり、パン屋「ヤマザキ」の売上記録を作るまでになりました。
更に喫「ホープ」のマスターにスカウトされて夕方から深夜0時までホールスタッフとして働くことになりました。
小林茂の形態模写を四五十人のお客を前でやったりして受けていました。
「ひとを笑わせることこそが俺の生きがい」と思うさんまです。
去った恋人茜がさんまの芸人へと背中を後追しした
茜との別れの日は突然やってきました。
ある日隣に寝ているはずの茜がいませんでした。
1通の手紙が残されていた
「私がいたらあなたはダメになるかもしれない
再会してからの日々は本当に楽しかった」
彼女は自ら別れを選び芸人としての俺の背中を押してくれたといさんまです。
1975年大阪の師匠のもとに戻り芸名を「明石家さんま」に改名し芸人としての活動を再開します。
さんまの純愛映画に号泣するあばれる君と藤田ニコル
あばれる君は短編映画の途中から泣いていましたが、終わった途端に号泣に変わりました。
藤田ニコルも号泣しています。
あばれる君はいい話に感動し、藤田ニコルは別れた恋人を思い出したのが原因でした。
去っていった恋人茜はしばらくの間 
さんまに会いたいと悩んでいました。
ついに楽しい伴侶を見つけて幸せになったそうです。
その後の長い年月に渡るさんまの活躍は後進の芸人たちの目標としても輝いています。

サンマの絶妙お笑い紅白歌合戦!!欅坂46・泉谷しげる・ピコ太郎


サンマの紅白歌合戦は即興でお笑いを作る明石家さんまが
出演者の個性を上手にひきだして魅力ある歌番組になりました。
特にこの日は明石家さんまが出演者の個性をお笑いに変えていく
技が絶妙に冴え渡りました。

欅坂46と明石家さんまの掛け合い
欅坂46は15歳から21歳の女の子グループです。
さんまが今紅白出場アーティストの中で一番会いたいアイドルでその踊りがかっこよすぎると話題になっています。
明石家さんまは彼女たちに特技を持っている人はいないか聞きます。
一人手を上げた女の子は尾関梨香です。
「長澤真澄のモノマネができます。すごい練習したので~」
「やってみい」と明石家さんま。
「ギャア~!ギャア~!」
思わず笑ってしまい明石家さんまです。
この特技?を明石家さんまはうまく使います。
話の時々に  というと
「アア~オオ~!アア~!」
「誰や!!お前は」と泉谷しげる。
頭を抱え込んでしまう明石家さんま。
この合手を明石家さんまは上手に使います。
会話で白けた時にさんまが「長澤真澄!!」と呼ぶと
「「アア~オオ~!アア~!」と尾関梨香から合手がはいります。
欅坂46の歌は「サイレントマジョリティー」 振り付けは上野隆博です。
上野隆博はニューズウィーク「世界が尊敬する日本人100」に選出されています。
マドンナからは「輝かしいダンサーであり、とても才能のある素晴らしい振付家」と評価を受けています。
その上野隆博の振り付けを欅坂46は歌いながらパフォーマンスします。
個々人の単純な動作を集団だと複雑な動きに見えるように仕組まれたパフォーマンスです。
明石家さんまもその迫力に思わず真剣な表情で見とれてしまいました。
歌唱が終わると「かっこいいなあ」と拍手でした。
泉谷しげるとさんまの掛け合い
さてさんまの声が汚れているという泉谷しげるです。
確かに喋り過ぎで静明学で調べたらさんまの声は75歳の声だったとか。
サラリーマンと比べたら150年分喋っていることから来ています。
「引き笑いは35歳!!」という明石家さんまの話術は欅坂46の女の子たちにオオウケです。
去年?のNHK紅白歌合戦ののとき、泉谷しげるの出番30分前に差し前歯が抜けてしまいました。
さんまはその時の口開けている泉谷しげるの写真をアップします。
お笑いを誘ってしまう構図の写真です。
その時泉谷しげるはどうにもならないので、歯抜けのまま出演してシリアスな歌を歌いました。
その時のビデオが出てきましたが、よく見なくても歯抜けで歌っていることがわかります。
さんまのリクエストは「黒いカバン」です。
1972年に発表された若者の反骨精神をユーモラスに歌った曲です。
さんまがリクエストすると「めんどくせえなあ」とのけぞって目をこする泉谷しげる。
さんまが口ずさむというと。
「そんな口ずさむような曲じゃないじゃん」
それでも歌い終わるとピコ太郎も「かっこいい~。かっこいいスネ!」と感動の歌でした。
続いて春夏秋冬を歌い終わって、「歌は叫びだからな」と泉谷しげるが言うと
泉谷しげるの歯抜けの写真を見せながら「「歌は叫びだからな」とこの人がおっしゃってますと明石家さんま。
ピコ太郎とさんまの掛け合い
まさに超新星そのもののピコ太郎の出現から現在に至るまでの活躍を明石家さんまは引き出していきました。
ピコ太郎にはもともとお笑い芸人の素地があるのでとても切れのある超超八丁の掛け合いとなりました。
いきなりPPAP動画の 紙写真の▷マーク を押すさんまを見てピコ太郎が
「ちょっとさんまさん!!そうなるのには10年早いです!!」の導入からPPAPが世界じゅうにサロがった話が語られていきます。
「いや凄いなあ~。これを浮かんでコレで行ったおまえのセンスが凄いわ!」とさんま。
ピコ太郎がカラオケのリズムを流していると前にりんごとペンがたまたまありました。
その小道具を手に持って浮かんできた来たのがPPAPです。
一分間でできたそうです。
ピコ太郎がPPAPを動画にアップしたらジャスティン・ビーバーが気に入ってくれたこと。
9000万人のフォロワーに配信してくれたので一気に世界中にPPAPがひろまったこと。
ビルボードホット100にランクインした最も短い曲としてギネス世界記録に認定こと。
YOU TYBE再生回数は3週連続世界一になったこと。
等々が面白おかしく二人の掛け合いの中で語られていきました。
ピコ太郎はまず「ペンパイナッポーアッポーペン」のフルバージョンを歌ってから
明石家紅白バージョンを歌いました。
さんま、泉谷しげる、欅坂46の名前を巧みに歌詞に組み入れながらのパフォーマンスに一同大喜びでした。