立川志らくブレイクまでの秘密とは?舞台・映画・音楽の時代

前の記事では立川志らくの付け人時代を紹介しました。

立川談志のテレビ番組にでて人気を得てから舞台に戻ると書きました。

立川志らくブレイクまでの秘密とは?付け人時代まで

落語が舞台に戻るとはおかしな表現です。

知る人ぞ知るでしょうが

立川志らくは非常に多芸多趣味の人です。

立川志らくの舞台・映画


立川志らくは2003年より劇団下町ダニーローズを主宰し、舞台演出家・脚本家としても活動していました。

その活動は現在も継続しています。

2018年6月7日〜17日 には第20弾の舞台 「人形島同窓会」が下北沢小劇場B1 にてが公演されます。

作・演出は立川志らくで本人も出演します。

1995年11月に真打昇進した立川志らくは真打昇進までは古典に打ち込み、真打昇進後はシネマ落語等の分野を開拓していきます。

映画と落語を題材にオリジナルの噺を創作しているのです。

当然映画も好きですから1997年に『異常暮色』で映画監督デビュー。映画監督として日本映画監督協会にも所属しています。

立川志らくのブルースハープ


2011年ころにはミッキーカーチスに貰ったブルースハープも取り組み始めました。

立川志らくは落語と音楽は密接な関係があると捉えています。


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立川志らくブレイクまでの秘密とは?舞台・映画・音楽の時代 まとめ


立川志らくが短時間でテレビでブレイクできたのは

芸に関わる幅広く深い素養があったことが大きいでしょう。

テレビ出演で多忙を極める前に

落語と舞台・映画・音楽を極めその関係性をいかして落語を創作しているのです。

この時代の立川志らくはテレビ嫌いで通っていました。

というか、テレビに出る時間が会ったら

他にやるべきことがあったというべきでしょうか。

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立川志らくブレイクまでの秘密とは?付け人時代まで

2018年4月24日のボンビーゲストは舞台、俳優、映画出演などと人気者の志らくでした。

ボンビーでは立川志らくの付け人時代の苦労からブレイクまでの軌跡を紹介しました。

とっかとしてテレビの人気者になった秘密がかいまみられました。

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志らくは2017上半期テレビ番組出演本数ランキング』の「ブレイクタレント」部門で、見事1位に輝きました。

志らくは若く見えますが年齢は54才です。

テレビ出演を始めてすぐ人気者になった訳はどこにあるのでしょうか。

生い立ちと付け人時代から探ってみましょう。

立川志らくの生い立ち進学まで



志らくの子供時代は小田急線の梅ヶ丘駅にある2階建て一軒家に住んでいました。

クラシックギタリストの父と長唄の師匠の母と弟との4人暮らしでした。

父のギター教室のわずかな収入はライブ活動などで使われて家計はギリギリ状態でした。

ギター教室を自宅で開くために父は自宅の壁を自力でぶちぬきました。

家の天井と屋根がこわれ雨が降れば部屋に雨が落ちてきました。

修理するお金もなかったのです。


立川志らくが芸能界を目指すきっかけとなったのは映画「ゴッドファーザー 」です。

アルカポネに憧れました。

進路相談で将来はアルカポネになりたいと言い先生に怒られ、諭されました。




結局日本大学芸術学部に入ろうとしたましが実技の点数が悪くて不合格となります。

少しでも演劇に関係があればいいと舞台技術コースの照明科を受験します。

面接では芸術コースに落ちたのでこのコースを受験したと答えます。

面接官にはおもしろいと言われ合格します。

立川談志の付け人時代



志らくは日大藝術学部の先輩である高田文夫に認められ、彼の紹介により談志の11番目の弟子として立川流に入門します。

大学を辞め、毎日談志の自宅に通い、落語だけでなく、談志の身の回りの世話から掃除の仕方まで怒鳴られながらもマンツーマンで指導を受けました。

一日中付きっきりでさらに給料もアルバイトも禁止されます。

なのに勉強代の一万円を談志に払わされます。

食事はパンの耳だけでした。

体重は20kgも減りました。

前座収入が5000円なのに家賃が15000円でマイナスなのに1万円を払うのです。

志らくは談志をうしろから刺してやろうかと思ったとか。

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地方出張の時が唯一の栄養摂取のチャンスでした。

師匠たちが会食で残した たべものをタッバに入れて持ち帰るのです。


そんな生活を続けること2年半。

ついにアルバイトが解禁に。

さらに立川談志の番組にも出演しました。

イケメンで女性ファンが付きましたがその後TVには出ず舞台にもどります。

立川志らくブレイクまでの秘密とは・付け人時代 まとめ


志らくは思ったことをストレートに口にする性格で行動力があることがわかりますね。

高校生にもなれば分別はつきますが、ギャングになりたいと進路相談で先生に話したら、先生は怒るでしょう。

日大の試験の面接官にも別の学部が落第したからとストレートに答えています。

まじめというよりも人の反応を面白がっているとしか思えませんね。

clr_br('') そんな設楽ですから立川談志に徹底的に鍛えられて、談志流の可愛がられ方をされてきたのでしょう。

晩年の談志に「お前はおれに似ている」と言わしめるほどでした。

志らくは「談志イズム」をすべて取り入れようとした唯一の人物言われるまでになっていきます。