天城越えをなぜ昔の人はしたのか?ブラタモリ

2018年5月12日のブラタモリは伊豆半島の険しい天城連山を昔の人々が超えたかったわけを探りました。

石川さゆりの名曲「天城越え」の歌詞は女性の情念の叫びともいえるような言葉がつづられていますね。

なにしろ不倫した相手に抱かれ、這ってでも超えたい天城越えなのです。


石川さゆりの「天城越え」の意味は


石川さゆりが歌う天城越えの女性は何故這ってでも天城越えをしたかったのか?

不倫した相手を恨んでも、一緒に険しい天城峠をこえさえすれば、相手の女は追いかけてこれないとおもったのでしょうか。

今なら険しい道でも車で行けばあっという間に超えれる天城峠です。

と言っても年間降雨量が4000mmの日本一の降雨地帯です。

豪雨の中九十九折の車の運転は初心者には厳しいでしょう。

増して冬ともなれば緯度が高いだけに積雪に見舞われることも多々あります。

今も車が珍しかった昔も天城越えは難所と言えます。

「天城越え」の歌詞をみれば「天城隧道」を通っています。

この「天城隧道」は女性一人では恐ろしくて通れないでしょう。

下田街道414号線沿いにあるこの天城山隧道 (旧天城トンネル)は、だれもが目に付き、その雰囲気に飲まれるようです。
行きに帰りにここを通っていますが、入ってみたいと思ったことは一度もありません。
薄暗いというより暗いの一言。全く先が見えない恐ろしさを感じます。
行かれた方の感想読んでもです。
トンネル作りに携わった方々の刹那さが漂っている感じです。


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となると石川さゆりの「天城越え」の意味は 不倫相手の女を振り切ってしまわせようという意味と思われます。

昔の人は険しい天城越えを何故したのか


江戸時代の旧天城峠は文政2年(1819)に豆州・梨本村の名主であった板垣仙蔵が私財を投じて開通させた天城越えのルートです。
 
頂上に二本の杉の大木があることから二本杉峠と呼ばれています。


二本杉峠は標高820mですからかなり厳しい山越えです。

明治37年(1904)に旧天城トンネルが完成するまでは三島と下田を結ぶ天城峠越えの幹線道路でした。

こんな険しい道を超えてまで昔の人が天城越えをした理由はブラタモリは解き明かしました。


天城の語源は雨の木です。

天城山は標高が高いため

太平洋からやってくる

湿った海風が吹き付け

山頂に雨雲ができ安くなります

天城は年間降水量は4000mm以上で日本屈指の多雨地帯なのです

江戸時代、この雨が質の良い木材の大供給地になりました

だからこそ人々はあえて険しい山の奥に分け入るようになりました。



天城越えもう一つの恵とは



昔の人が天城越えもう一つの恵についてもブラタモリは解き明かしました。

天城の更なる恵とはそれは山の奥にあるいいます。



作詞家 吉岡治  作曲家 弦哲也  石川さゆりの3人は

湯ヶ島の白壁荘に3日間滞在し天城越えの道を歩きながら「天城越え」を作りました

作詞の先生が天城峠を歩いていくとどんどん詞が増えて行って

作曲していくとまた詞が増えて

「恨んでも恨んでも 体裏腹」あたりの3行が増えてきて どんどん盛り上がってきたと女将が振り返りました。


「体が言うことを聞かないのということですね」とタモリ

リンダアナが大笑いしましたが

「タモリはこの人わかっているんだろうか」?という目線を送りました

「この凄い歌詞が生まれたのも天城山の恵ともいえるのです」とプロデューサー


どんどん超えたくなってきたタモリです

天城越えの坂に入ってきました

浄蓮の滝の恵とは「わさび」 でした。



江戸時代の中ごろに栽培が始まった伊豆の名産品です

江戸に握りずしブームが増えたときに一気に需要が増えました

山が多くて農産物が育ちにくい伊豆の貴重な収入源となっていました


現在でも生産量は全国の4割りを占めています

この辺りは伊豆のわさび栽培が始まった歴史的場所とか




浄蓮の滝は1万7000年前に流れてきた溶岩が作った滝です。

溶岩があることもわさびにとって重要なことなのです。

溶岩にはたくさん亀裂があるので雨がそこに染み込んだ水が無数にシミ出してくる湧き水

わさびは溶岩からの湧き水が必要なのです。

城越えをなぜ昔の人はしたのか?ブラタモリ


石川さゆりの名曲「天城越え」の女性がなぜ天城越えしたかったのかは

天城山山の険しさが関係していました。

昔の人が「天城越え」をしたのは銘木とわさびを求めてのことでした。

人間は環境が厳しくても情熱・情念があればやり遂げる生き物なのですね。

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