去っていった恋人茜が明石家さんまを芸人に!!誰も知らない明石家さんま第一弾

「去っていった恋人茜が明石家さんまを芸人にした」というストーリーの短編映画が11月26日に再放送されました。
「誰も知らない明石家さんま第一弾」での一コマです。
明石家さんまが芸人になるように彼の背中を押した恋人茜役には新川優愛、さんま役には菅田将暉、脚本はピースの又吉直樹が手がけました。
明石家さんまが「よくぞあんなにきれいに仕上げてくれた」というほどの純愛ドラマを見た、あばれる君と藤田ニコルは号泣また号泣でした。
その純愛ドラマのストーリーは関係者の取材に基づいてピース又吉が脚本化したものですから実話と言って良いでしょう。
この時明石家さんまは恋人茜のために芸人をやめてアルバイまでしていたのです。

高校卒業後、笑福亭松之助に弟子入りしたさんま
昭和49年大阪高校卒業し、杉本高文(本名)すぐに笑福亭松之助に弟子入りしました。
入門の動機は、花月劇場で見た松之助の新作落語が面白かったからだといいます。
芸名は笑福亭さんまとして落語の修行に励んでいました。
そんなある日街で小学生の同級生だった茜と偶然に出会います。
恋人茜のため芸人をやめた明石家さんま。
それから毎日のように遊ぶ二人。
いつしか笑福亭さんまは結婚を真剣に考えるようになりました。
ところが茜の両親が芸人と交際することを良く思っていませんでした。
茜を幸せにすることが自分の幸せと思っていた笑福亭さんまです。
お笑いのためなら死ねると思っていたさんまですが、愛する茜のために大阪を捨てて東京へ向かいました。
当時の東京では師匠につけないと舞台に立てないのがルールでした。
そのため東京にはお笑いの仕事にはまったくつくことができませんでした。
そんな時に励みになったのは度々大阪から茜が来てくれたことです。
さんまは芸人をあきらめ近所のパン屋でフルバイトをすることにしました。
そんなさんまがいつのまにかパン屋の名物店員となり、パン屋「ヤマザキ」の売上記録を作るまでになりました。
更に喫「ホープ」のマスターにスカウトされて夕方から深夜0時までホールスタッフとして働くことになりました。
小林茂の形態模写を四五十人のお客を前でやったりして受けていました。
「ひとを笑わせることこそが俺の生きがい」と思うさんまです。
去った恋人茜がさんまの芸人へと背中を後追しした
茜との別れの日は突然やってきました。
ある日隣に寝ているはずの茜がいませんでした。
1通の手紙が残されていた
「私がいたらあなたはダメになるかもしれない
再会してからの日々は本当に楽しかった」
彼女は自ら別れを選び芸人としての俺の背中を押してくれたといさんまです。
1975年大阪の師匠のもとに戻り芸名を「明石家さんま」に改名し芸人としての活動を再開します。
さんまの純愛映画に号泣するあばれる君と藤田ニコル
あばれる君は短編映画の途中から泣いていましたが、終わった途端に号泣に変わりました。
藤田ニコルも号泣しています。
あばれる君はいい話に感動し、藤田ニコルは別れた恋人を思い出したのが原因でした。
去っていった恋人茜はしばらくの間 
さんまに会いたいと悩んでいました。
ついに楽しい伴侶を見つけて幸せになったそうです。
その後の長い年月に渡るさんまの活躍は後進の芸人たちの目標としても輝いています。